表面以外
写真っていうのは表面しか写らない。
人の「内面を写す」とか、そういう甘っちょろいことを考えてはいけない。
写真ってのはそういう大層なものではない。
大体内面って何だよ、とか思うし。
そんな、写真一枚で「表現」できてしまうような薄っぺらい人なんていない。
いるかもしれないけど、そんな人の写真が面白いかどうかわからない。
写真は瞬間しか写らないが、人って瞬間瞬間を拾って語れるものではない。そういう無数の瞬間の連続であり、寄せ集めであり、混沌であり、総体であり、部分である。
そんなわけのわからないものの、ほんの一瞬を切り取っただけのことに、どうしてそんなに過剰な意味づけを求めるのか。
瞬間なんて、たかだか瞬間でしかないんだぞ、ということを確認したくて撮るのが写真なんじゃなかろうか。
と、常々思っているんだけれど。
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「そうだよ写真は表面しか写らないんだよ。だからその表面を頑張って綺麗に撮ってあげるのよ」
と何かでアラーキーが言ってた。
・・・・・
杉浦日向子の、死ぬ数ヶ月前のポートレートがある。
撮ったのはアラーキー。
杉浦日向子の「表面以外」が写ってるような気がしてしかたがない。
いや、写っている。
100年に1枚の写真だと思う。
凄すぎて、他の杉浦日向子の写真が後ろへ吹っ飛んでしまう。
杉浦日向子といえば、もうこのポートレートしか思い出せなくなってしまう。こういうのが写真の怖さなんだな、と思う。
でも、アラーキーにお礼を言いたい。
こんな凄いポートレートを残してくれて、本当にありがとう。
*(白水社『写真ノ話』、スイッチ・パブリッシング『空事』等に収録)











