風景とは何か。いつもそう考えながら風景を撮っている。
結局風景とは見られる前からそこにあるのではなく、僕が見たことによってそこに立ち現れる、世界と僕との共謀の産物である。
光の原理的なことを考えれば、僕らは光源の発した光を何かが全方向へ反射する、そのうちたまたま僕らに向かって直進してくる光だけをとらえて視像を得ている。
風景なんてたかだかそれだけのことであるとも言えるし、僕らが触れることの出来ない広がりをその後ろに持つのだと考えることも出来る。
全方位に逃げていく、我々の網膜に直進しない風景のことを考えてみる。自分の網膜と、写真機の網膜に相当するフィルム面に、たまたま届いた光と、その後方にある届かなかった多くの光について考える。
出会うこと、それを見ること、それがフレームとして切り取られ、写真機を通してある種の定着を得ること。いかにも「捕獲」的な手順を踏みながら、しかし捕らえられたものは捕らえたと思った次には全方位から網越しに捕り(撮り)手を見つめ返す。
「捕獲」など思い上がりだと知る。すべての風景は「垣間見えて」いるだけである。
それを考えながらシャッターボタンを押す。写らない他の全方位のことを感じながらシャッターボタンを押す。
そういう「風景」の仕組みが面白く、また恐ろしい。